戦後 プラス100ccの余裕

戦後

戦後はもっと評価されていい

昨日は一日の研修の後に、夜は映画上映会をやりました。

テーマは『自分と繋がる日本』
今回は戦後復興の期間を題材にした映画ということで
『海賊とよばれた男』を視聴。
今回のタイトルは映画の中で出てきたセリフ。
若干ネタバレになっていますが、
社長の国岡さんが、目標を達成しきれない社員を叱咤するときに喋ったセリフです。
詳しくはdvdを借りましょう!
さて、そんな『熱』がテーマの今日ですが。
皆さんは日々、熱くなっていますか?
日常に自分の全身全霊をかけてでも越えていきたい目標はありますか?
映画を通して、
狂えるぐらいに熱くなれる
というのも日本が持ってるひとつの特性なのかなと感じました。
昨日に書いた共通の土台はなかなか反応がよかったですが、
ここも共通の土台が出てくるなと思います。
自分自身が熱くなれる場がある。
社員や仲間と共有できる熱くなれる場がある。
共有できる共通の土台が見え、
自分の命を投資できたとき、
それはきっと、充実感に溢れていることが想像できます。
しかし、なかなかこういった打ち込み方、ご家族のなかで共通の土台を作ることは難しいです。
仕事に打ち込みすぎて、奥さんとは大前提がずれてきてしまう。
体験を共有できなくなってきたとき、どうしてもずれは生じやすいのが人間です。
いつの間にか熱くなることをあきらめていった日本。
参加者の方のなかに高度経済成長の時代も知る方がいて、
その当時の日本の力強さを知る方もいました。
どちらかというと、それも洗脳かもしれませんが、
僕から見える日本は熱くなる日本というよりは社会全体にどこか閉塞感のある日本でした。
バブル崩壊からの景気の状態。
時代全体の閉塞感。
熱くなれる、というだけではもしかしかしたら先に進めないのかもしれないな。
明治以降の日本は常に時代の中心に勝負をしてきたとわたしは解析をしています。
西洋列強によりアジアが植民地化されるとき、
立ち上がっていった日本。
不平等条約も受け入れながら、みずから近代化を進めていった。
そこには常にチャレンジと団結と達成がありました。
だけど、ただの熱情だけでは、
反が生まれてしまう。
時代の中心に楯突くだけでは敗けは決まっているのかも。
だからこそ、時代全体を巻き込むような共通の場が求められると感じています。
私たちのなかに眠る『熱さ』の魂
それを目覚めさせるような場が必要だなと感じています。
昨日はそんな価値のある場が、
種として産み落とされるのを感じました。
またそんな話は追々していきたいなと思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。

第一次産業からの視点で読み解く戦後

これまであらゆる形態の貧困問題を見てきたSPA!だが、今回は貧困を生む“街”の構造を解き明かすべ..........

これまであらゆる形態の貧困問題を見てきたSPA!だが、今回は貧困を生む“街”の構造を解き明かすべく取材を敢行。なぜ特定の街で貧困が生まれるのか? そこから脱することは可能なのか? 住民の声とともに見ていきたい。

◆貧困から抜け出せない外国人労働者の2世たち

 厚生労働省の発表によると、日本で働く外国人労働者の数は年々増加し、昨年初めて100万人を突破。少子高齢化による労働人口不足を外国人で補おうとする構図だが、安易に推し進めることで新たな貧困が生まれているのも事実だ。

「低賃金で働く外国人労働者が工場近辺の団地などに集住。日本で生まれた子供たちに高い教育を受けさせることができず、2世、3世までもが貧困から抜け出せなくなっている地域があります」

 そう話すのは、国内外で若者文化を撮り続けるカメラマンの福持英助氏だ。彼がレンズを向けるのは神奈川県平塚市。平塚といえば、戦後に戦災復興都市の指定を受け、自動車関連をはじめ工業都市として発展した地域である。現在でも工業団地が点在し、多くの外国人労働者が生活を送っているという。

 そもそも福持氏がこの地で生活する外国人労働者の2世、3世を撮影するようになったのは数年前のこと。湘南界隈の夜の街で若者たちの姿にカメラを向けるうちに、“ハーフ”のコが多いことに気づいたという。

「話を聞けば、みな労働者として日本にやってきた外国人の子供たちでした。ブラジル、フィリピン、タイ、カンボジア、ベトナム、中国……親の国籍はそれぞれバラバラ。本人たちは総じて陽気でノリがいいんですが、みな決して裕福でないのは共通しています」

 彼らが集住するのは工業地帯に隣接する団地群。なかでも平塚駅から5kmほど離れた横内団地は、全住民の20%弱を外国人が占めている有数の外国人タウンである。さっそく現地へと足を運んだ。

「この団地に長年住んでるけど、もともと外国人は少なくなかったからね。その頃から騒音トラブルとかケンカはたまにあったんだよ」

 まず話を聞いたのは、この団地に20年住んでいるという相田正さん(仮名・61歳)。そもそもこの地に外国人が増え始めたのは’80年代後半のこと。自治体によるインドシナ難民支援で、ベトナム、カンボジアなど東南アジアから難民が移り住んできたのがきっかけだ。その後、あらゆる国から難民申請者や技能実習生が集まり、日本人との結婚、労働力としての定住申請などを経て多くの外国人が住み着くようになった。

「ただ、彼らの子供が増えだしてからのほうが正直言って治安はよくないよ」(相田さん)

 平塚駅周辺で年に一度行われる七夕まつりの際は、毎年若者同士の大規模な諍いが起きているという。前出の福持氏はこう語る。

「もちろん外国人のコばかりではありませんが、正直写真撮影できないような“危険なヤツ”も多い。地元の日本人たちも警察官たちも、見て見ぬふりしている状態です。彼らは夜な夜なクラブに集まって騒いでいるんですが、そこで黒い人物たちとのつながりができて犯罪に手を染めてしまうヤツもなかにはいます」

 この地に通って3日目、ようやくこの団地で育った“2世”の若者に話を聞くことができた。

「親父がブラジル人で母が日本人。もう離婚して母はいないんですが、親父と15歳の妹と3人で住んでます。僕と妹は国籍も日本だし、日本にしか住んだことがないです。今20歳で、仕事は高校出てから自動車工場のライン工。以前は親父も近くの工場で働いていたんですけど、目を悪くしてからは知り合いのブラジル料理店で働いています。同世代のハーフでもココから出て行くヤツもいますけど、結構残ってますね。俺と同じように工場で働いてるヤツもいるし、車のディーラーやってるヤツもいるし、クラブのイベント仕切ってるヤツもいる。同い年で子供がいるヤツも少なくない。なんつうか早いんですよ、サイクルが(笑)。まぁ確かにカネはないヤツらばっかですけど……ハーフも純日本人も関係なく、先輩後輩含めみんな仲いいですよ」

 もうひとり、この地で育ったフィリピン人の母(父は日本人)をもつ18歳の女性にも話を聞いた。

「私もそうだったけど、高校いかずにバイトしたり、16~17から夜の店で働いてるコは多いかな。でも、それが別にフツーみたいな。夜、子供を同じ団地の親に預けて働いてるコもいるよ」

 もうひとつ、貧困から抜け出せない理由がここにある。古くから平塚駅西口にはピンサロが密集するなど、性風俗文化が根づいていることだ。福持氏が続ける。

「外国人労働者の娘たちで、18歳未満の“アンダーキャバクラ”で働くケースもよく聞きます。また、接客業が苦手な女のコが簡単に“ウリ”に手を出すことも。結果として高校に進学せず、10代で母になるコも多いため貧困から抜け出せなくなっているんです」

 こうした負のスパイラルは、なにも平塚に限ったことではない。

「神奈川県内だけでも藤沢や大和など、こうした貧困を抱えた外国人集住エリアはいくつかあります。これらの地域にも撮影に行くのですが、どこも貧困と同様に治安の悪化が問題視されています」

 ほかにも、静岡県浜松市、群馬県太田市などもこうした問題が顕在化しているという。移民の受け入れを行っていない日本だが、労働人口が減少する日本にとって外国人労働者の需要は今後も増えていくばかりだろう。だが、そんななかで低賃金で働かされ異国の地で貧困に陥る彼ら、その2世、3世たちは、この国の新たな“被害者”といえるのかもしれない……。

【福持英助氏】

カメラマン。’74年、横浜生まれ。カルチャー誌や実話誌を中心に、国内外の若者文化を撮り続ける。インド、ロシアなど海外での撮影経験も豊富

取材・文/浅原 聡 加藤カジカ 撮影/時永大吾 福持英助

― [新型貧困を生む街]潜入ルポ ―

 
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