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著者 高杉良さんは経済小説で名高いかたです。

でも私はビジネスにあまり興味がなく、

これまで作品を手に取ったことがありませんでした。

でもこの作品は表紙に惹かれて手に取ることになりました。

1,620円
楽天

昭和25年。

11歳の杉田亮平は、姉の弘子、弟の修二、妹の百枝とともに、

キリスト教系の養護施設 めぐみ園に預けられた。

両親は健在なのだが、父母が離婚することになったのだ。

親権を持つ母親が住み込みで働くことになり、

手元で育てられないとのこと。

思うところがあっても、親や親戚が決めたことに

従わざるを得ない亮平たちだった。

四人兄弟は別々の組に分けられた。

しかし末っ子の百枝はまだ2歳。

亮平は妹が不憫でならなかった。

しかし、幼かったのが幸いしたのか、

百枝はすぐに養子縁組が整い、めぐみ園から居なくなった。

兄弟が離れ離れになったことを悲しむ亮平とは逆に、

姉の弘子はそれが百枝の幸せだと言い切るのだった。

亮平は学校で「施設の子」ということで、いじめにあう。

めぐみ園の中では納得のいかないことも多かった。

しかし、持ち前の人懐っこさと度胸、知恵と、

ときには腕力にも物を言わせ、それを乗り切っていく亮平。

また、自分のことを親身に思ってくれる恩師や、

かけがえのない友人達にも恵まれるのだった……。

(かなり大雑把にまとめました)

著者 高杉良さんの本名は杉田亮一なんですって。

そうなんです。

主人公 杉田亮平は高杉さんご本人。

この小説は、高杉さん初の自伝的小説なのだとか。

だからでしょう。

亮平の心の動きなどは本当に生き生きしていて、

どんな少年なのか目に浮かびます。

また、亮平の目から見た父親、母親も。

現代と違って、戦後5年しか経っていないときの養護施設。

その生きづらさは今とは比べものにならなかったでしょう。

遊びにも、食べる物にも恵まれない中、

懸命に生きるこどもたちの逞しさ。

亮平はちょうど私の両親の世代で、

戦争や、その後の食糧難の時代を経験しているかたがたには、

共感を覚えるかもしれません。

戦前、戦後そして平成、世代によって

全然受け止め方が変わる小説かも。

この小説は昭和25年5月から翌年12月までで終わっています。

まさに「めぐみ園の夏」にしぼって書かれているのです。

そこからがちょっと物足りないというか、なんというか……。

最後の約1ページを読んで思わず

「お姉さんと弟はどうなったの?!」

お会いしたこともない高杉さんに、

問いかけたい気持ちでいっぱいになりました。

非常に気になります。

もしかしたら続編の予定があるのかしら?

本当に、このままでは気持ちが収まらない。

高杉さん、お願いですから

弘子さんと修二さんのその後も教えてください!!

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あなたが創った場所もきっと誰かの思い出の戦後になる。

今日は「SG オーシャンカップ 最終日 」


相変わらずこうがの体調は悪いです
日に日に悪くなっています。
今日は喋れず、頷くことも難しい状態。
でも、どうしても大好きな白井英治 選手のレースを現地で観たくて、会いたくて。
「丸亀競艇場行きたい 」と。
あんまりにも体調が悪いもんだから、
「今日はしんどそうやから、やめよっか?」
と聞いたんだけど、眉間にシワを寄せる。
「行けるの?」と聞くと、小さく頷く。
こうがが行きがっているから行くしかない
ホントはドクターストップかかっています。
何かあってもすぐに病院に戻れる範囲で居て下さい、と言われています。
でもね、先生。
「病院に戻る」は間違いです。
「病院に来れる」でしょう?  
だって病院はこうがの家じゃないですから。
母もついつい使ってしまうんですがね
そんなこんなで行ってきました
丸亀競艇場
現地で、先に遊びに行っていた下の子と合流しました。
大好きな白井英治 選手の航走は9R
レースが始まると、
しんどくて喋れないこうがが指を指して、
「白井英治 来た 応援しないと
目の前で白井選手の走りが見えてホントに嬉しそう  

もちろんレース観戦後は出待ちしました

今日もこうがの願いは叶いました

今日は、「新しい馬さんのヘルメットにサインしてもらいたい 」と、この間届いたばかりのヘルメットを持参しました。
お忙しいのに、疲れているはずなのに、
いつもイヤなカオ一つせず、ニコニコ対応してくれる白井選手。
本当に感謝しかありません。
白井選手のおかげで、今日もこうがは笑顔になれました
「いつもホントにありがとうございます。チカラもらえますこうが、またなありがとう
と仰って頂きました
「こうが、またな!」
こうがの大好きな言葉です。
この言葉を聞くと、「『白井英治がまたな!』って言ってくれたねえ」と嬉しそうに言います
残念ながら、おそらく次は難しいと思いますが
こうがは小さい頃から丸亀競艇場が大好きです。
一番大好きな競艇場。
初めて白井選手にお会いしたのも丸亀。
そして最後にお会いできたのも丸亀。
これからも ずっと一緒に来たいけれど、きっとそれは難しい。
嬉しい反面、辛くもあり少し複雑です


でも、今日は来て良かった
それだけは自信を持って言えます
白井選手をお見送りした後、帰ろうとしたのですが、「こうがボート観たい。」と
残り2Rでしたが、最後まで観戦しました
実は、こうがにはSGの優勝戦をナマで見せたことがなかったんです
大渋滞に巻き込まれるのがイヤで、早めに引き上げてたからね
迫力あるレースはもちろん、優勝戦後に上がる花火、綺麗なボートでのウィニングランも一緒に観ることができました
こうがも食い入るように、ジッと見つめていました。

おそらく、こうがと競艇場に来れるのは今日が最後です。
一番大好きで、たくさん来た丸亀競艇場。
何回来たか数えれないくらい(笑)
今日はこの丸亀で、
白井選手のレースを観ることができました。
優勝戦の迫力を間近で感じてもらうことができました。
少しですが、大好きなゲソ天も食べれました。
そして何より、
大好きな白井英治 選手に会うことができました。
本当に来て良かった。
ありがとう、白井選手と丸亀競艇場
また次がありますように

優勝戦はこうが、予想当たりました

ちなみに、、、、。
白井選手に渡そうと製作を頑張っていたオルゴールですが、鈍臭い母のせいで楽譜の編曲が上手くいかず、間に合いませんでした
こうがも大分ショックそうで申し訳ない
【7/17(月)外泊2日目】
※大分しんどいけれど、今日はオプソ無しで過ごせました
※本人も病院には行かないと言い、ボート場と自宅で一日を過ごしました
※皮膚転移がひどく、顔と頭だけでなく体にもでき始めました。外観が大分変わってしまい、本人も気になる様で、鏡を見てしまうと悲しそう。
どうにかしてやれないものか。
鼻の腐敗臭のコトを病院で小児科と耳鼻科に相談するも、スルー
ネットで調べたら、花咲き乳癌には匂い対処の仕方があるみたいなんだけど、鼻だから場所的に無理なのかな?
それとも、めんどいだけなのかな、、、?
かかっている病院で答えがもらえない場合、どこに相談すれば良いんだろうか
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