今週のテキーラスレまとめ
最近のサンフランシスコのクロニカル誌のスポーツ欄の新聞の切り抜き。
ここ5年くらいの間に熟考され、後を絶たない密漁者に対する新しい法律が出来上がった。
俄然厳しくなったのだ。例を挙げてみよう。
鹿、エルク、アンテロップ、ビッグホーンシープ、熊、などが挙げられるが、昔はすべて一律に罰金がきて、狩猟ライセンス剥奪、ライフルはは没収であったが、新しい法律はゲームに対して鹿なら、角の大きさや、サイズで最低5千ドルから、最高4万ドル。ワイルドターキーでさえ一羽につき5千ドル。罰金がダントツに上がった。
その他、24時間ジエイルに拘束されて、100時間のコミニュテーサービス。これはよくフリーウエー沿いで赤い服をきて団体でごみなど拾っている連中の事だが。昔オレ達が若い頃、ドランクドライビングで捕まったりして、週末になるとゴミ拾いに行っていた日本人の若いのが結構いたな。延べにして1日8時間として12日間週末はパーだ。
しかも、もし密猟で再逮捕されれば、2回目は8万ドルに跳ね上がった。だからライフル銃の引き金を引くときは考えなさいよ、、と いってこのコラムは締めくくっている。
話は1970年に戻そう。この秋、最近なにかと有名になった、霊感が宿るとか、水がいいとか、環境のよい町、マウントシャスタの隣の町 WEED にある、カレッジ オブ シスキューという学校があって、そこで2年半生活した。まず入学した年に最初に買ったのが、レバーアクション マーリン スコープ付、口径30-30のデアーガンだった。
ここら辺の山には鹿猟のシーズンオフともなれば、鹿がたくさん山から下りてくる、特にメスは撃たれないのがわかっているから、用心してない。
ある日曜日の昼頃、ドアーを叩く音がしたので外に出ると、最近までずっと友達だったジャックがボロステーションワゴンでやってきた。車の後ろのハッチバックを開けて、彼がブランケットをばっと剥いだら、デカイメス鹿が横たわっていた。密猟だ。
ジャックが言ったもんだ、、彼は昼すぎに家でテキーラを飲んで酔っ払っていたが、急に鹿の肉が食いたいと思いつき、そのまんまアメリカの田舎のこと数10分走れば、もう山に入る。鹿を見つけてバッキュ~~ン、、オレが借りていた倉庫を改造した小屋に持ってきて、2人で皮を慣れない手つきで剥いて肉にした。これが最初の密漁だった。
それから2回目はジャックが学校へ来る前にマリワナのデールで稼いだ金で、ここWEEDの町から車で2時間くらいの、オレゴン州の山中に5エーカーの土地を買った。そこでオレ達3人で小屋を建てて、そこでも密猟した鹿肉を毎日食っていた。残った肉はジャーキーなども作った。
なんせオレ達は普通の学生ではなく、ジャックは海兵隊上がりで、片目をやられてるし、オレも深川の木場で材木担ぎをアメリカに来るまで6年もやっていた。それに日本にいた頃から銃は持っていた。
学校の終わりの頃、金が全くなくなり、必要に駆られて密猟に向かうわな。白い雪山に鹿の5~6頭が、ト~~んト~~んと跳ねてやってきて止まる、そのタイミングでライフルの引き金を引く。内臓をとり、レバーと心臓はうまいので、とっておく、頭を落として、無理してホルクスワーゲンビートルの後部座席に詰め込んで帰った。翌日から毎日鹿肉。
鹿の肉を刺身にして醤油をつけて食っていると、ルームメートのアメリカ人が帰ってきて、何くっているんだ、鹿の生肉?、、、ユーアー クレージー なんて言っていた。うまいのに。
時は経って、うちの店の2階がアパートになっていて、その頃は日本人の学生に間貸しをしていた。そこへ友達が持ってきてくれた鹿肉を刺身にして大皿にもって、確か醤油とゴマ油かなんかミックスして食わせた。最初誰も気持ち悪がって食わなかったが、1人が小さい肉片をつまんで、おっかなびっくりしてテストした、、お~~うまい、、それからみんなで食い始めて、あっという間に大皿の肉が空になった。
はたまた話はカレッジに戻る。類は友を呼ぶ、、いつも4~5人の不良仲間が集まって授業がない時間、スチューデントセンターでコーヒーなど飲んで、いつものように、女の話、戦争の話、将来の金儲けの話、、などしている、女学生の胸の張ったのが近くを通ると、、ヘイ キャシーをみてみろよ、デカイナーと言って、両手を胸の前に出してサイズを示したり、しょっちゅうだった。またある時、、同じ仲間にも女学生もいつも2~3人いた。
ある日、女の子がコーンドッグを1本買ってきた。オレ達の前で黄色いマスタードと赤いケチャップをたっぷり付けて、、大口開いて、そのコーンドッグをぱくりとやった。オレ達3人、リハーサルもしてないのに、同時に アウチ(痛い)、ぽこちんを抑えるゼスチャーをした。
彼女は平気で、、 ナステー(いやらしい)一言いってニヤリと笑った。
USA 馬鹿学生を、あの頃はやってたな。