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パッとしない天気が続きますが、蝉の鳴き声だけが晩夏を想起させます。
30年前の夏は社会部の駆け出し記者として、運輸省とJRの記者クラブを行ったり来たり。丸の内の旧国鉄本社から聞こえる蝉の声が今でも頭に焼きついています。
読了しました。
読み始めから2ヶ月もかかりました。
そのボリュームに何度も脱落しかけ、その間ライトノベルやエッセイなどに浮気をし、ようやく夏休みのまとまった時間で読み終えた次第です。
国鉄分割・民営化に至る20年のプロセスを、戦後の既得権益解体の象徴と捉え、圧倒的な取材量と分析で全容と明らかにした、最近では秀逸のルポルタージュといえましょう。
特に今では考えられないような組合員の勤怠の実態。組合と妥協を重ね、”国体護持”のごとく全国一体を維持しようとする国鉄幹部の醜態。改革3人組の執念とクーデターとも言うべき根回し。
これらを関係者全てに丁寧に取材し、一つのストーリーとして完成させています。
実は僕はこの本が描いた民営化直後の87年夏にJR担当記者になりました。
したがって、ドロドロの抗争を終えた、言わば終戦後のJRが取材対象だったのです。
当時JR東日本の広報は改革派が固めていました。
部長は本にも出てくる白川保友(当時41歳)。課長以下は30代の若手キャリアが、年齢以上に裁量を与えられていました。
従って広報と記者クラブの間柄は驚くほどオープンで明るく、とても半年前まで国鉄だったとは思えない自由な雰囲気に包まれていました。
記者へのオルグという側面もあったのでしょう。会見がやたらたくさんセットされてました。
毎月、JR東日本が会長、社長、副社長、松田常務(改革3人組)、佐々木取締役首都圏事業本部長。
JR東海が須田社長で時々葛西取締役(改革3人組)。
それにJR貨物や国鉄清算事業団も会見やるので、会見だらけ。げっぷが出そうでした。
2年間の取材の中で、民営化その後に大きな問題が2つ浮き彫りになってきました。
一つは本の中でも触れていましたが、国鉄改革はその目的のためにタブーとも言える動労との妥協を図ったことです。
僕はJR担当の前、検察担当でしたから、公安関係者から「動労(委員長)松崎は革マルだ。革マルは革命前夜まで一般市民を装うので要警戒だ」と聞いていたのです。
しかしJR当局は松崎委員長を最大限、評価していました。
JR東海との懇親会で、当時のM総務部長(後に社長)が「松崎委員長とは手を組んでやっていける」という発言をしたので、目玉が飛び出るくらい驚いたことを覚えております。
当時、JR西日本の井出副社長は東京の記者と会見することはありませんでしたが、本によると動労との妥協にある種の後悔を抱いていたようです。
もう一つは本にも書いておりませんが、整備新幹線問題です。
当時新幹線は東海道山陽と東北のみ。これをおらが国に持ってくることが、自民党先生方の大好物でした。
新幹線は当時「新幹線保有機構」が所有し、本州3社に貸し出していたのです。
従って新規の敷設にJR側が口を出すことはできません。
取材はもっぱら自民党の先生方でした。
その後の30年で開業した新幹線がどのような状況か、よくお分かりだと思います。
国鉄を食い物にしていた既得権益は労使共に壊滅させられましたが、国会議員と運輸省の一部は、依然として新幹線という既得権を食い物にしていたのです。
それが民営化とのバーターだとしたら。。。
”昭和解体”は未だ途上なのかもしれません。
あなたの探している戦後のすべてがここにある
第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
4 権六の恋(4)
「よもやと思ったが、紛れもなく権六だのう。はてさて久しい」
「ご無沙汰をしちまって、まことにご無礼しやした」
「お前がワシの目を盗んで、ここを飛び出してから何年になるかのう」
「うんだあが17歳の時ここをおん出ただから、かれこれ27年にもなるだよ」
「するともう40もとうに越えたわけか。早いものだのう。それにしてもよく訪ねてきてくれた。こっちによって一杯やらんか。ああ、紹介しておこう蒔田源一さんだ。そして根津銀治郎君・・・・松里中学の1年せいじゃよ。お前を迎でたくれたのが銀治郎君のお母さんで貞子さんだ。よろしゅうにな」
蒔田源一は盃を置くと軽く会釈をして返し、銀治郎少年は居ずまいを正し、両手を付いて「根津銀治郎です。よろしくお願いします」と挨拶をした。
すでに述べたように蒔田源一は陸軍中尉であったが、上級将校の誹謗中傷のなかで現役から身を引き、春日野小学校の臨時教員となったときの教え子のひとりが、根津銀治郎だった。銀治郎少年と根津貞子の母子は戦火を避けて、父の故郷である山梨の春日野村に疎開をしていたのだ。蒔田源一は同じ学級の芦沢正が銀治郎に罪を被せた嘘を見破り、厳しく叱責したが、芦沢正は春日野村村長の息子であり、学校長もまた芦沢一族である。
その二人が結託して、非の無い銀治郎に謝罪せよと迫ったのだが、母貞子は朝比奈子爵に連なる者としての誇りをかけ、村の権力者と対決をしたのである。
その命がけの姿に感動した蒔田源一は、春日野村の権力者ふたりの横暴から救わんと、旧知の雲峰寺住職小笠原月心にこの二人を預けたのである。
月心と蒔田源一は剣の道を通じての知り合いであったが、終戦まぎわ敗戦を見越した月心が国体維持を目的とする『政経懇話会』を設立すると、その右腕となって主幹をつとめた。
国体維持がなされた戦後、月心老師の元を去らんとしたが、老師に乞われて雲峰寺に身を寄せ、剣の修行に明け暮れていまに至る男である。
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その脇で貞子は黙ったまま軽く頭を下げた。
権六はあの気味の悪い目つきで、源一と少年をジロリと一瞥しただけである。
黒檀の食卓にはさまざまのおせち料理が並び、月心老師を上座に据えてその両脇に三人が並んで座っている。
書院の庭に面した障子から、残雪が照り反す淡くそれでいて明るい陽が部屋の隅々まで届き、卓上の料理を浮き立たせている。
「おりゃあ、さっきはびっくらしただよお・・・・天女様に迎えられたかと思っただあ」
と貞子を見やりながら月心老師に言った。
「あの権六が世辞を言うようになったとは驚きだのう」
「お世辞じゃねえずら。ふんとうにこんなきれいな人にゃあ生まれて初めて、お目に掛かっただに」
「まあよい、正月だ一杯飲まんか」
「はい、頂戴しますでごいす」
あっ、その前に・・・・と言いながら、軍袴のようなズボンのポケットから金貨をつかみ出すと月心老師の前に置き、再びヒラグモになって
「こりゃあ、満州で一生懸命働いて稼いできた金だあ。金無垢の仏様を盗んでいったお詫びに、和尚さんにけえすだよ。どうぞ納めてくりょう」
「そんなことがあったかのう」
「おりゃあ、そのこんだけが気がかりでごした。やっとその苦しみから解き放されたでごいす」
心にも無い虚言をほざきながら、なんと目頭を押さえる真似までした。
「まあよい。これはお前のこれからの暮らしに役立てなさい。何事も御仏の思し召しじゃからのう」
月心老師は金貨を権六の手元に戻しながら言った。
続
次回8月28日
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